26見た目のよい野茂知紘は自分の好みにぴったりで、おまけに彼の方から 粉をかけてくるのだから寂しい女からするとひとたまりもない。この時の真知子にしてみれば、心も体も慰めてくれる人なら 最初はただの浮気相手でもよかった。 友人に忠告されなくても、婚活はしていた。だけど、結婚相談所で紹介された相手とは、とてもじゃないけど 恋愛の『れ』の字も介在しないのだ。見合いなのだからと言われればそれまでだが、恋愛結婚を経験し、 恋愛体質の真知子には空し過ぎた。 この三か月余り、激しく自分にのめり込んでいる知紘を見ているうちに、浮気相手でもよかったという想いが、結婚を望んでもいい相手に変わった。そう真知子に思わせるほど知紘は彼女にメロメロだったのだ。だから……思わず訊いてしまった。 「私とのこと、どう思ってるの? 奥さんと別れて結婚? なんてしてくれたらうれしいなっ」正直結婚までは考えていなかった知紘は驚いた。 だが相手に積極的に請われ、だんだんその気になる知紘。「そうだね、でも俺の奥さん仕事も家事も……特に料理も上手くて頑張 ってる人だから、簡単にはいかないかな。少し、時間が必要だよ」 『えっ、ダメ元で聞いたのに可能性あるんだ』 「ありがとー。……っていうことは、結婚の可能性あるんだよね。 どーしよう。うれしいー。1年や2年ならぜんぜん私、待てるから。 知紘くんのこと好きだもん」 急に結婚を請われて深く考えもせずに答えた知紘は、うれしいーだの、 知紘くんのこと好きだもんなどと言われ、ますます舞い上がるのだった。ただ、この時も美鈴との離婚は現実的ではなかった。その場の出まかせとまでは言い切れないが、浮気の延長線上のもので、 まぁ言うなればピロトークのようなもの、その場限りのリップサービス ……の域を出てはいなかった。
27「私ね、実はお話してないことがあるんだー」「何かな、どんなこと?」「私……3才になる息子がいるの。 結婚の話が出たから隠さずにちゃんと話しとくね」知紘は息子がいると聞いて驚いた。 今頃になって子供がいる話をするなんて詐欺じゃねーか、そう思った。ヤバい、非常にヤバい。 真知子から子供がいるという話を聞いた途端、知紘は及び腰になるのだった。しかし、今まで散々綺麗だの可愛いだのと褒めちぎり、食事に洋服、 アクセサリーだのとたくさんの金もつぎ込み惚れてるよパフォーマンスを 散々しておいて、ここで急に潮が引くようにデートするのを止めてしまったら、 どんなことになるか想像するだけで怖ろしい。 騙されたと野球チームの皆や妻の美鈴、果ては会社にまで自分たちの関係を 暴露して回られた日にはオワリだ。 このあと、頭が真っ白になり何も考えられなくなった知紘は、曖昧な笑みを 浮かべ真知子の話に相槌を打ち、身の入らないおざなりな真知子との性行為 を済ませ、そそくさといつもより早めにデートを切り上げて家に帰った。 ************* 子供の話をした途端、明らかに挙動不審になった知紘に……。『あ~、結婚は難しいかなー』とガックリきた真知子だった。本人は一生懸命取り繕っていたが、見ていて痛ましいほど無理しているのが 分かってしまった。それは会話のあとに繰り広げられた性交ではっきりと分かった。そんな知紘の様子にショックを隠せなかったが、ある程度覚悟はあったので 真知子はその日、少しの傷心を抱えて帰路についた。 真知子から自分には息子がいると聞いて知紘の頭の中に浮かんだのは、 今まで夢中になっていた真知子との性交渉についてだった。思わず吐き気を催してしまった。赤ん坊が出てきた場所で……その赤ん坊を作る行為をするため他の男の モノが何度も侵入した場所で、そこに自分のナニを喜んで抜き差しして いたという事実に今更ながらに気付いたからだった。この時が、知紘の中から真知子マジックがなくなった瞬間だった。
28それから2~3日、知紘はこれからのことをどうすればいいのかと、 ない頭を振り絞り、ある計画を立てた。 知紘の学生時代の友人に筧優士《かけいゆうし》というめちゃくちゃ 女にモテるヤツがいる。確か今、付き合ってる彼女がいるはずだが、奴の場合学生時代から 二股どころか4人と付き合っていたこともあるという猛者だ。知紘はこの筧に賭けてみようと思った。 そう、真知子と後腐れなく別れるために筧という餌を撒くことにした のだ。もし真知子に子がいなければ、万に一つ美鈴の代わりにと考えなくも なかったが、子供がいるとなると万に一つもさえもあるわけがない。実の子さえ経験値がないのに、他人の子などもってのほかである。間もなくして、カップルの友人たちと筧、そして自分と真知子という 組み合わせで一泊二日の旅行を計画し、実行した。筧にはわざと彼女を連れて来るようには知らせなかった。 流石、筧は筧だった。俺が真知子との結婚話に積極的でないことを薄々感じていた彼女が、 筧に靡くのは早かった。別に何かを真知子に聞いたわけでも筧に聞いたわけでもなかったが すぐにピンときた。 真知子が筧たちとの旅行から帰ると、それ以降野球サークルのある日に 彼女がピタっと来なくなったからだ。勿論、彼女からの連絡も一切ない。 俺もそれ以降真知子には連絡をしていない。たぶん、このまま彼女とのことは上手く自然消滅できるだろう。
29つい先だってまで、自分の持ちうる全ての時間と気持ちを愛しの真知子ちゃんに注ぎ込み捧げていた夫の知紘の様子がおかしいことに美鈴は気付いた。何かの理由があってのことか、ただ単に飽きたからなのか知る術はないが、野球以外で外出がなくなった夫。何かと以前のように話し掛けてくるようになった夫に、美鈴はもはや何の感慨もおきはしなかった。今更だ。もはや、夫の気持ち《自分に向けられる好意》などほしいとは思わない。いらないのだ……。現状、夫の分の家事は最小限に留めている。洗濯はするがアイロンがけはしないし、取れかかったボタンがあっても知らぬ振り。料理だって最低限のものを食卓にそれらしく並べるだけ。夫のために貴重な自分の時間を取られるなんて真っ平。専業主婦とはいえ、独身の頃から手掛けているイラストの仕事も忙しいので、なまじ嘘というわけでもなく、手の込んだ料理ができない理由に『仕事が忙しい』という言い訳はさほど苦しくない。美鈴の父親は美鈴が知紘と結婚したあと、一年もしないうちに不運にも事故死してしまい、その後母親は縁あって従兄《正吉》と再婚し、正吉《まさよし》の暮らす五島列島のうちのひとつ、五島市へと嫁いでいった。関西に住む美鈴たちと遠方に住む彼らとは話し合いの上、お互いにしんどいことは止めようということで、現在通信機器で連絡は取るものの行き来はしていない。このような家庭環境にいる美鈴なので、仮にふらっとしばらく旅に出ますと言い置き家を出ても、知紘は美鈴を探すのに何の手がかりも持ってない状況だ。まだ綺羅々にも相談というか、話していないことなのだが、美鈴は家を出ていくつもりでいる。あれほど仲良く暮らしていたパートナーから、突然冷たく突き放され3か月にも亘り自分の存在を無視され続けてきたのだ。信頼が崩れた以上、この先とても一緒に暮らしていけるものではないし、何より知紘に対してもう気持ちがないのだ。いくら考えても、この先妻としてやさしい気持ちを知紘に向けることはできそうにない。そして、愛情もない。だから結論……一緒にいる意味がない。自分が家を出ていく前にもしも知紘の気持ちが自分に戻ったら、と考えないこともなかったが、考えるまでもなく知紘が擦り寄ってきそうな雰囲気が見受けられても彼に対する自分の気持ちが戻ることは
30父亡きあと、美鈴の母親は従兄の正吉と再婚し、五島市へと移り住んでおり遠方故親子は双方納得の上、行き来をしていない。このような状況でもし美鈴がある日突然自宅からいなくなったとしても、おそらく知紘には探しようがない状況になるだろう。美鈴には住民票を移さずに、ひょいと別荘にでも行くようなノリで長期間滞在できる箱《古民家》があった。母方の祖父から母へそして美鈴へと相続した家があるのだ。母親が再婚するにあたり早々に美鈴に名義が替えられたのである。これについては知紘の知らない話で、美鈴がそのような家に住むなどとは想像もつかないだうろ。家の存在そのものを知らないのだから。美鈴が知紘の目の前から居なくなれば、知紘はその古民家どころか下手をすると美鈴の母親の暮らす場所さえ知ることはできないかもしれない。この祖父母や母親が過ごした家は、両親が住む家から1時間足らずで通える場所に立地しており、美鈴は結婚して今の住まいで暮らすようになるまで週末や夏休みなど別荘代わりに両親と共に使っていた。両親は娘が家を出てからも、家の手入れも兼ねて従来通り定期的に通っていたので古民家とはいえ、手入れが行き届いていてきれいなままの状態で残っている。そして母親が再婚するにあたり、古民家は美鈴へと生前贈与されたわけだが、美鈴にとっても愛着のある家で、今の家からは往復2時間半かかるが平日に朝一番で家を出、風通ししたり植物の手入れをしたりと、大事にしてきた。いずれは知紘と共に終の棲家になれば、などと考えていたが、こうなってしまったからには、それは無理というものだ。ほとほと知紘に嫌気がさし離婚して知紘の顔など見なくても済むようになりたい、そんなふうにフツフツと考え始めた時に閃いたのが、この祖父母から譲り受けた古民家のことだった。
31 美鈴は真知子や知紘から、証拠さえ掴めば慰謝料が取れるということはインターネットなどの情報から知ってはいた。弁護士を探し相談、そして調査会社に依頼して証拠集め、もしくは自分で証拠を 集めるなどして慰謝料を請求する、更に離婚となると財産分与、年金分割なども 請求できる……そのようなアドバイスが大半だったが、はっきり言って面倒くさいことが嫌いな性格の上のこともあるのと、そこまでいろいろと行動する憎悪のエネルギーが美鈴にはなさ過ぎた。だからといって、これまでほとんど専業主婦の体で暮らしてきた自分が知紘と離れて暮らすというのを第一目標にした場合、どうすれば自分にとって最善か、それはちゃんと考えた。それは今もこの先も結婚はもうしないだろうということが前提になっていて、最後まで離婚を伸ばせるだけ引き伸ばし、尚且つ知紘とは別居するという形だった。保険や年金のことを考えると夫の扶養に入っているほうが断然助かるので、少なくとも生活の基盤が整うまでは、自分からは離婚の話を持ち出すのは止めようと決めていた。古民家暮らしでは畑と広い庭があり、野菜が作れて、BBQ《バーベキュー》だってできる。レンガを積み上げてピザ窯を作ればピザだって焼ける。この古民家への移住を考えるようになってから、美鈴はよけいに知紘や真知子への復讐などどうでもよくなった。今や、ワクワク感が堪らない。離婚不受理届けを市役所の窓口に出し、固定資産税の支払いに関する連絡先の住所を変更し、後は、『しばらく1人になりたい』と置手紙を残し、保険証や年金手帳、クレジットカードなどの貴重品は鞄に詰め、自分の居場所を探せるようなもの(母親からのハガキなど)の痕跡を消し去り、知紘の前から去るのみ。一種の卒婚のようなものだ。困窮したら、生活費も頼んでみるつもりでいる。ちゃっかりできるところは遠慮しない。とにかく、どうなるか分からないがやってみなければ始まらない。知紘が姑息にも筧に真知子を押し付けて別れた翌月の末に、1か月間準備を進めていた美鈴は知紘には置手紙ひとつで家を出た。母親には手紙で知らせておいた。『知紘が私のことを探して、どこに行ったか知りませんか、という問い合わせが 万が一あった場合、知らないと話ておいてください。困った時は必ず連絡をするので、私のことは心
32知紘は真知子と出会ってからというもの、妻の美鈴をうっちゃり、 彼女のことを過激に溺愛。しかし、ふたりの間に結婚話が出たことから彼女には子供もいると知り なんとかスムーズに別れる方法はないものかと無い頭で考えた末、数人での 旅行を思いつき、やりチンで知られている友人、筧優士を誘い、真知子を 上手く譲渡することに成功。 ◇ ◇ ◇ ◇筧は真知子と付き合い始めた時には、彼女の心変わりから自分と付き合う ようになったのだとの認識だった。だがその後、ピロトークで真知子から知紘との話を聞かされるうちに、自分 が知紘から意図的にお下がりとして真知子を押し付けられたのではないかと 思うようになった。 真知子が自分に靡くようになった時から筧は不思議に思っていた。自分が常に何人もの女と付き合うようなヤリチンだということは 学生時代の友人たちなら誰でもが知っていることだ。 だから、大切な彼女のいる連中は絶対自分が参加する場には連れてこない。 そんなわけで最初、真知子が知紘にとってただの浮気相手だから 連れてきたのだろうと思っていた。 知紘のヤツは今の奥さんである美鈴と付き合っていた頃は……というより、 結婚後も俺に会わせたことはただの一度もない。それほど大切にしていた奥さんがいるのに浮気してんのか? と驚いたよ。それにしてもだ、真知子があっという間に知紘との連絡を絶っても真知子や 俺に文句の一つも言って寄越さないとは、ただの浮気相手だとしても一応 自分の彼女なわけで、どんだけヘタレなヤツなのだと思っていたが……。 聞くところによると、真知子との間に『結婚話』が出てたっていうじゃないか。 なんと、それが俺たちが複数カップルで出かけた旅行の ほんの一週間前の話と聞けば……馬鹿でも推測できるだろう。
33大体旅行先にいい女がいるかもしれないからと、俺には一人での参加を要請しておきながら、知紘と真知子のカップルともう1カップルとで参加って、あの時は深く考えてなかったけど、知紘は俺に真知子を押し付ける気満々だったってわけだ。真知子の話から見えてくるのは、美鈴さんのことはうっちゃり、随分と知紘は真知子に入れ込んでたということ。結婚の話が出た時も、積極的ではないにせよ、考えてみるというような雰囲気ではあったらしい。……で、真知子曰く『優士くんに出会って知紘には悪いが心変わりしちゃって』ということらしい……が。あの時の旅行を計画したのが知紘なのだからあれだろ、真知子が俺に靡くのを見越して体よく真知子をお払い箱にしたのは明白だ。そこで俺は考えてみた。奥さんを蔑ろにしてまで執着していた女を切ると決めたその理由……。男と女のことに関しては百戦錬磨の俺様、ピーンと閃いたね。たぶん、真知子には借金があるだとか子供でもいるのだろう。兎に角知紘にとって何か都合の悪いことがあるのだろう。まぁ、結婚抜きでしか付き合わない俺には関係ないけどな。そうそう《そんなにたびたび》学生時代の友人との間で女性関係含め揉めたことはないが、今回のことは少し腹を立てている。真知子の戯言を聞くまでは逆に知紘に対して、人の女を取ってしまい申し訳ないなどと、ほんの少しの罪悪感を持ったのだが……この俺様に自分の使い古していらなくなった女を意図的に押し付けてくるとはいい度胸してるじゃないかと、そういう考えに変わった。少し奴に灸を据えないとな、俺のプライドが許さねぇ~。俺は真知子に再度、知紘との付き合いを話題に持ち出し、真知子がどんなに酷い目にあったのか、奴がどんなに酷い男かということを刷り込みした。『結婚しようと言われていたのに裏切られて捨てられた』と知紘が所属している野球チームの連中や会社にも言いつけた方がいいと、俺は真知子を焚きつけた。俺の焚きつけ話をじっと聞いていた真知子が俺の意見に首を縦に振った決定的な言葉、それはこの一言だった。「慰謝料が取れるよ、この話」真知子の方でも薄々知紘が逃げ腰になっていた気配をそれなりに感じていたのかもしれないな。様子からして知紘のことは吹っ切れて見えた。 ******俺は忙しくしていて
93 「振られたな……」奈羅のことが好きだったと告白したのに、そこは完全スルーされ稀良は 落ち込んだ。 しばらく気持ちを落ち着けるために部屋に留まったが、そのあと奈羅に 続いて稀良も部屋を後にした。 ◇ ◇ ◇ ◇稀良には翌日からまた、研究漬けの日々が待っていた。 一日を終え、働き疲れ軽い疲労を抱えた稀良が白衣を脱ぎ捨ててドームの 長い廊下を歩いていると、顔馴染の摩弥《♀》に声を掛けられた。「調子はどう? なんかオーラが暗いよね」「分かってるなら訊くな」「落ち込まない、落ち込まない。今度あたしがデートしたげるからさ」「あー、ありがとさん」 「何奢ってもらうか考えとく」「おう」 軽い遣り取りをしているうちに2人はドームの外に出ていた。前方には彼ら2人の位置から5・6m先に奈羅が立っていて、明らかに 稀良を待っていたふうで、稀良に視線を向けているのが見てとれた。 「あらあら、もしかしてあの人が落ち込んでる原因? じゃぁまっ、あたしはお邪魔虫にならないよう消えるわ。またねー」「あぁ、また」 稀良に手を振り離れて行く女と稀良を、奈羅は目をそらさずじっと 見つめていた。 そんな奈羅の元へ稀良が歩いて来て声を掛ける。 「俺のこと、待ってた?」「うん……」 「フ~ン。それじゃあさ、これからデートでもする?」「うん」らしくなく、乙女のように俯いて奈羅が答えた。ふたりは肩を並べ夕暮れの中、恋人たちや友達同士と、人々が賑わう街中へと 消えて行った。 ****綺羅々の懸念していたことは現実となり、奈羅に復讐するはずが何たること……。 綺羅々は稀良と奈羅の恋のキューピットになってしまったのだった。 ―――― お ―― し ―― ま ―― い ――――
92 「おねがい、ほしいの……」この短いダイアローグ《DIALOGUE》が二人の合意となった。たわわでまだ瑞々しい魅力的な乳房にはただの一度も触れないまま、尻フェチの稀良は奈羅と結合に至る。ここで稀良は綺羅々のまま退場するのがいいだろうと考え、しばらくの間、彼女との快感の余韻に浸り、そのあと身体から離れようとした。だが、奈羅の動きの方が早かった。くるりと身体をを反転させたかとおもうと稀良を下にして、彼にキスの雨を降らせ始めたのだった。その内、稀良の胸や腹にもやさしい愛撫をしかけてきた。それでまたまた稀良のモノに元気が漲り《戻り》、今度は正常位でもう一戦、彼らは本能のまま快楽の中へと身を投じていった。大好きで長い間片想いをしてきた綺羅々と二度も想いを交わすことができた奈羅は幸せだった。「綺羅々、ずっと好きだった。だから、今あなたと一緒にいるのがまだ夢みたいよ」奈羅は自分の告白に無言のままでいる隣に横たわる男に視線をやる。男はベッドの上、上半身を起こした。その髪型とシルエットから奈羅はその人物が綺羅々でないことを悟り、愕然とする。「残念だけど、俺は綺羅々じゃない」「どうして?」「言っとくけど君がしてほしいって、ほしがったんだからね。そこははっきりさせとく。俺は前から奈羅のことが好きだったからうれしかったよ。俺たち体の相性もいいみたいだし、付き合わない?」頭の中真っ白で混乱しかない奈羅は、素早く下着を付け服を着る。稀良も話しかけながら帰り支度をした。互いが衣類を身に着けたあとで、奈羅はもう一度稀良に詰問した。確かに自分は綺羅々と一緒にこの部屋へ入ったはずなのに。いくら問い詰めても綺羅々の方にどうしても帰らないといけない用事があったため、綺羅々が|自分《奈羅》のことを稀良に託して先に帰ったのだと言う。自分は酔っぱらってはいたけれど、しばらくシャワーに入るという話もしていて、絶対当初この部屋にいたのは綺羅々だったはず。だけど、酔っていただけに100%の自信が持てない自分がいた。よもや、自分がした同じような手口で復讐されるなどと思いつきもしなかった奈羅は、綺羅々を責めるという発想は出てこなかった。このまま稀良といても埒があかないと考えた奈羅は、部屋に稀良を残したまま部屋を後にした。
91 あまりの気持ち良さに奈羅は現世からどこか別の所へとしばらくの間、 意識を飛ばしてしまっていた。 意識が戻ったのは身体に別の快感を覚えたからだった。この時はまだうつ伏せ寝のままだったのだが、首筋から両肩、背中、腰と その辺りを行きつ戻りつ絶妙な力加減でマッサージを施していたはずの手の 動きに変化が あり、眠たくなるような心地良さから肉体的快感、性的感覚 を伴うものへと変わっていったのである。 奈羅は今の状況に歓喜した。ずっと綺羅々と性的関係になりステディな関係になりたいと思っていたからだ。 気付くと先程まで腰から下を纏っていたバスタオルが取り払われていた。綺羅々とバトンタッチした稀良が、しばらくの間は綺羅々と同じように マッサージしていたのだが、どうしてもバスタオルの下にある奈羅の下半身 を見てみたいという欲求に逆らえず、早々にバスタオルを取っ払って しまったのだ。 目の前に現れた形の良いぷるるんとした双丘に目を奪われ、 稀良は一瞬固まってしまった。 尻に釘付けになっている眼球に身体中の熱い血液が集中し 漲ってくるのが分かった。 もう今や、稀良の暴走しようとする勢いは理性では止められないほどに 高まっていて、手は豊満な美しい双丘を這っていた。 しばらく撫でまわしたあと、できるなら最初から触れてみたかった双丘の なだらかな斜面を下りきった所にある秘密の場所へと指を滑り込ませてい った。そして指の腹で秘所の周辺を撫で愛でていった。その時、奈羅の喘ぐような切ない吐息が漏れるのを稀良は 聞き逃さなかった。急いで稀良は身に纏っていた衣類を脱ぎ捨てマッパとなり、彼女の 上《背中》へと胸、腹とそれぞれをぴったりとくっつけた。そして首筋から肩、背中へと愛し気に愛撫を施していった。そして身体のあちこちに触れながら、一番施したかった場所へと口元を 近付けた。そこは双丘にある割れ目の根本であり、ぎゅっと両手で広げたかと思うと、 そこから舌先で秘所を弄んだ。すると、それに比例して奈羅の喘ぎ声が途切れることなく続いた。一応、稀良はジェントルマンなのでレイプ魔のようなことはしない。そんな稀良は奈羅の耳元で囁く。「していい?」すると奈羅が答えた。
90 (最終話-番外編へと続く)「シャワー終わったよ。どう、君もシャワー行けそう? それともこのまま朝までゆっくり寝とく?」 「私も行くわ。折角綺羅々との時間ができたんだもの。 朝までただ寝てるなんて有り得ない。待って、私もシャワー浴びてくる」 「急がなくていいよ。ゆっくりしておいで」 ◇ ◇ ◇ ◇「お待たせ……」「こっちに来て」俺はまだ足元のふらついている奈羅を抱き寄せる。 彼女の力が6割方抜けた感じだ。「まだ体がシャンとしてないだろ? うつ伏せにそのまま横になって。 マッサージして身体をほぐしてあげるから」「ありがと。綺羅々ってやさしいんだね」 自分がコナを掛けても冷たい反応しか返してこなかった綺羅々が部屋を とってくれて、その上抱かれる前にマッサージまでしてくれるだなんて 奈羅は幸せ過ぎて夢心地だった。 今夜のひと時が終わってもまだまだこの先も綺羅々との幸せな時間があり、 2人の未来があるのだ。 この時、奈羅は女の幸せを存分に味わっていた。 それを知ってか知らでか、綺羅々の手によって部屋の明かりが最小限に 落とされ、濃密な部屋の中、淫猥な空気が流れ始めるのだった。綺羅々は奈羅の巻かれただけのバスタオルを背中越しに腰の辺りまで ずり落とし、丁寧なマッサージを施し始めた。そして15分経った頃、後ろに控えていた稀良と絶妙なタイミングで 入れ替わった。相手は酔っている上にマッサージの施術で全く気付いていないようである。綺羅々は稀良に親指を立て、ゆっくりと静かにその場から立ち去った。 『くだらない方法だけど、仇はとったよ薔薇』 綺羅々は今いるラボ《研究所》は辞めて別の場所を探すつもりでいた。 心機一転、研究もプライベートも一から立て直そう。そう心に誓い、いろいろあったハプニングに別れを告げ、 夜明け前の人通りの少ない静謐な空気の中へと溶け込んでいった。
89 「わぁ~、あたし、どうしよう。酔っぱらってきちゃったー。 もう飲めないよ。私の代わりに綺羅々飲んで」 「はいはい、何言っちゃってるんだぁ~。天下の奈羅様が。 もっと飲めるだろ? はーい、どんどんいっちゃって」 「きついって」 そう言いながら俺がコップに酒を注ぐと奈羅は上目使いに俺のことを 見つめて、グイっと酒をあおった。 『いいぞー、その調子だ。ドンドンいけー。何も考えずガンガン飲めー』 見ていてもかなり酔っているのが分かる頃、俺は悲し気に言った。 「俺、薔薇のことが好きだったんだよね」「ん? 薔薇は……だけど薔薇はいなくなっちゃったんでしょ。 もう忘れなよ。あたしが慰めたげるからさ」 「そうだよね。ありがとーね、奈羅」「ふふん、どういたしまして」 『もうフラフラだな、コイツ』 「かなり酔ってるみたいだし、どこかで今夜は泊まって明日帰るとしますか」「はーい、さんせーい」 会計を済ませ予めとっておいたアンモデーション《宿泊施設》の 505号室に入室した。 入室すると同時に彼女はトイレに駆け込んだ。トイレの隣にある浴室を開けて確認すると稀良がちゃんと予定通り 待機していた。俺たちは改めてアイコンタクトを交わす。 「ごめんなさい、飲み過ぎたみたい。 でも、少しだけ横になったら大丈夫だと思うのよ」 「OK.じゃあその間、俺シャワーしとくよ。お先に」 俺は奈羅がベッドに横になるのを確認し、シャワールームに向かった。 実際にシャワーを浴びるのは稀良の方だ。 その間、俺はシャワールームの前で待つ。シャワーの音が止まるのを合図に上着をドア横のハンガーに掛け、 奈羅の横たわるベッドの側まで行く。
88 ―――――――― 攻略《罠》―――――――――俺はラボ内で奈羅を見つけ、飲みに行かないかと誘った。俺が真実を知っていて彼女を恨んでいるなんて知らない奈羅は、ノコノコとパブに1人でやって来た。「綺羅々が誘ってくれるなんて、あたしびっくりしちゃった。うれしー」「久しぶりだよね。あれから半年振りくらいかな。あんなことがあったのに俺、冷た過ぎたかも。何となく気になって連絡してみた。元気だった? もういいヤツ《彼》できた?」「う~ん、男友達は何人かできたけど、彼氏はまだかな」「じゃあ俺と酒飲んでも大丈夫かな」「勿論、誘ってくれてうれしかったわ」薔薇に酷い仕打ちをして悲しませた女が目の前にいる。俺は実りそうだった恋をこの女の罠でぶち壊された。今に見てろ! 俺の誘いをすっかり俺からの好意だと思い込んでいるこの勘違い女を驚かせてやろう。こんな女のこと……少しは驚くかもしれないが、さてどうだろうな。しばらくすれば落ち着きを取り戻し案外楽しむ感覚になるだけかもしれない。だが、俺に嵌められたかもしれないことはいつまでもこの女の心に残るだろ? それだけでもいいさ、何もしないよりは。つまらないことをしようとしている自覚は大いにある。俺は話題が途切れないようポツポツとだが奈羅に話し掛け、時間をかけた。何のって? 勿論、酒をどんどん勧めて酔い潰すためさ。
87その次にきた波が俺を襲う。 「稀良《ケラ》、俺は奈羅にお前を勧めて紹介できるほど親しくはない けど、お前の気持ちを成就させるための協力はできるかもしれない。 少々荒療治かもしれんが……」「どんな?」『――――――――――――――――――――』 あとは知らん、野となれ山となれ戦法だな。少々強硬手段だが上手くいくかも……もしくはいかないかも。 「いや、そんな強硬路線じゃなくてまずはデートに誘いたいっていうか、 交際の申し込みをだな……」 「俺だって親しくないんだから自分のことならいざ知らずお前の代弁とか 無理……」チャラ男のくせに目の前の男は度胸がなさそうだ。 「こうすればいいじゃないか。イタす前に了解取れば。 『いいのか?ってさ』 録音でもしとけば証拠になるだろ? それを聞けば彼女だってお前を責められないだろうし、ある意味合意 なんだからお前だって自責の念にかられることもないだろ? そのあとなら一度や二度断られてもアプローチしやすいだろ?」 「だけど一度パブで同席しただけの俺に一緒にその……部屋まで付いてきて くれるかな。自信ない」 「そこは大丈夫。部屋までは俺が連れてく。 そこのところで協力できるからこその俺の提案、この案はね」 「親しくないと言いながらそこは自信があるって……えっ? そういうこと?」 「はっ?」「彼女、お前とならアンモデーション《宿泊施設》に簡単に付いて来るって こと?」「う~ん、どうだろう簡単ではないかも。五分五分だな」 「ちょっ……ちょっと待ってくれ。 そういうことなら俺の出るまくねえじゃん」「いやいや、出てくれよ頼むよ、ぜひとも。俺、実は彼女から同じようなことされてさ、心臓止まりそうになったこと あるんだよ。だからお前の話聞いてリベンジしたくなったんだよなー。 俺もヤツ《奈羅》の心臓止めたいんだよっ。 そのせいで好きな彼女に失恋した」「恨んでるんだー」 「あーぁ、恨んでるね。 本当なら彼女Loveのお前じゃなくてどこぞの荒くれどもにその役を 任せたいくらい気分なんだよ」「あー、その役どうかどうか荒くれどもじゃなくて、俺に、この俺に してくだせー、綺羅々様」 今回のシナリオは前から考えていたわけじゃない。薔薇を失った絶望感が大き過ぎて、奈羅への復讐
86 あの日、どういうことで奈羅に付いて行ったのか? アンモデーション《宿泊施設》の同じ部屋で、まるで2人の間に何かあったかのような怪しい雰囲気の映像が無断で撮られ薔薇に送り付けられていたわけで、明らかに確信犯的犯行と思わざるを得ない。薔薇が地球上での生が終わるのを待ち、ようやく元の同じ場所同じ時間軸に連れ戻せると期待して次元と時空の狭間で待ち受け、そして望み通り薔薇を見つけることができたのに……行き違いがあったとはいえ金星でお互いが両片想いだったこともようやく確認し合えたというのに……なんと薔薇には自分との前世よりももっと遥か彼方より契りを交わしていた愛しき男がいたというではないか。探して追いかけて待って待ち続けた結果が、予想もしてなかった結果に綺羅々は男泣きをした。そして絶望に襲われた時、綺羅々の胸に憎悪とともに仄暗い感情が芽生えた。 ◇ ◇ ◇ ◇綺羅々は薔薇が金星からいなくなったしまった日から、地球上の時間軸で計るなら半年しか経っていないところへと戻った。バーの片隅で酒を飲んでいるところへ見知ったヤツ、稀良《ケラ》が隣に座った。久しぶりだな綺羅々。最近見かけなかったけど元気だった?……ってあんまり元気そうじゃないな。別の日にしたほうがいいかな。「いや、構わないさ。で、何?」「奈羅と少しくらい交流あったりする?」「あったらどうすんの?」「取り持ってもらえないかと思ってさ」腸煮えくりかえるほどの名前を耳にし、思わず綺羅々は平常心を失くすところだった。「で、いつから? 彼女と同じラボ《研究室》になって1年弱だろ」「いやさぁ、それがつい最近深夜に連れとパブに繰り出したらちょうど奈羅も友達と来ていて明け方まで相席して盛り上がったっていうか」「ふーん、それで?」「なんか、いいなぁ~って思ってさ。ただ何となく素面で誘うのって苦手なんだよな」「話が見えない……。俺に相談? 何の?」『交流あったりする?』の質問にあるともないとも答えられるはずもない綺羅々は、相手の意図するところを探ってみる。「あれから気になって、奈羅のこと」目の前のチャラ男はらしくない発言をする。目の下と首筋がほんのりと赤いじゃないか。本気なのか? それにしても奈羅の二文字を聞かされた俺はというと、吐き気がし
85「だけど、一緒には行けない。私ね、地球に産まれて永遠のパートナーがいることを知ったの。その人《夫》と長い長い気の遠くなるくらい長い時を経てまた巡り逢えて、その夫だった圭司さんが迎えに来ることになってるの。彼がね、今際の際『この世とあの世の狭間に行くことができたらそこで待っててほしい。必ず迎えに行くから』って言ったの。だから、私はここでずっと彼を待ってなきゃいけないの。綺羅々、私のことは忘れていい女性《ひと》見つけて」お互いの行き違いのあった気持ち、そして美鈴とは両片想いだったことの確認もできた。だけど、自分との出会いのあとで永遠のパートナーに出会ったという。このことが綺羅々にとっては、返す返すも悔しいことだった。綺羅々は思わず薔薇の腕を取り、再度自分の気持ちを伝えた。「僕との金星での一生を終えてからその人とまた再会すればいいんじゃない? その人はまた少しくらいなら待っててくれそうじゃない?」そう薔薇の気持ちに揺さぶりをかけてみるも彼女は首を縦に振らない。綺羅々が彼女のことを想い切れずに腕を放さないで佇んでいると……。1人の男《根本圭司》が薔薇の腕から綺羅々の手を振りほどくと「悪いね、彼女を俺に返して」と言い放ち、薔薇を抱きしめて言った。「待たせてごめん。心配したろ? 不安にさせてごめん」そうやって男は薔薇に謝りながら肩を抱き、綺羅々の前から立ち去った。自分だってどんなに薔薇を好きだっか。ずっと薔薇が人間としての一生を終えるのを待っていたのに。交際をして妻になってもらいたいと思っていたのに。こんな結末が待っていようとは……。思えば思うほどひたすらに奈羅のことが呪わしく、心の中で彼女への憎悪が膨らんでいくのを止められなかった。そして綺羅々は失意のうちに宇宙船に乗船し、金星へと戻って行くのだった。